「珍事」と呼ぶほかない、諸々の炎上事件が日常化し、我々のメンタルも平板化して参りました。
私がもっとも精神的にキた出来事は、痴情のもつれで殺された女子高生の「わいせつ画像」(および動画)がネットにアップされ、熱気を帯びて回覧されたという一連のあれです。
それはもう何というか、人道に反するとか、そういうような悲観や怒りではなくて、むしろこれが人間の本質であり、ここに対してネガティブになっても意味はないと、振り切れた感じでしょうか。
そこで思い出されますのは、TVアニメ『ガッチャマン クラウズ』です。
絶対的な悪者が存在しない社会で、自分たちが何と戦っているのか、ヒーローとして存在する意味も分からないという、現代のガッチャマンの苦悩が描かれている作品です。
悩むガッチャマンをよそに、SNSを活用したシステムで社会はアップデートできると主張する、サブヒーローの「男の娘」が活躍をし、「秩序に正義は必要か?」と問うストーリーは、一見の価値があります。
その構図は、荻上チキ 『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか』に出てくる、「頭でっかち」と「心でっかち」という表現に当てはめることができると思います。
「頭でっかち」とは、制度や仕組みがしっかりしていれば社会は良くなるとする考え方で、「心でっかち」とは、政治家や国民の一人ひとりが優しくあれば社会は良くなるとする考え方。
いずれの立場も、守られるべき本当の「弱者」を無視しているのが現状だと、著者は言っています。
しかし私は、『ガッチャマン クラウズ』の結末も、この『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を~』の結論も、まだ世の中が「倫理」でどうにかなると思っているところで、ピンと来ません。
なぜなら、抑止が効かず暴走を続けている根源的な力、その本体こそが「倫理」だからです。
戦争はもちろん、交通事故ですら、いつまで経ってもなくせない人間の「頭」や「心」、つまり「倫理」など、いっそ忘れてみたほうが良いのではないでしょうか。
よっぽど、無人戦闘機や自動運転車のほうが、いい仕事をするかもしれませんよ。