『グランド・セフト・オートV』(以下『GTA5』)を始めました。
何度目の正直か、今度こそ苦手なオープンワールドを克服できるのではという期待が高まります。
1週間ほど遊んでみて、結論から言うとやっぱり今回もダメであります。
何がそうさせるのか……。世界中で人気のゲームを楽しめないのはゲーマーとして死活問題ですから、原因ぐらいは把握しておきましょう。
まず、ノッて来ない自分の気持ちに焦点を絞っていくと、ゲーム全体に「思想の古さ」を感じているところが大きいと気づきます。
オープンワールド系のゲームが評価されるときに「自由度の高さ」が賞賛されますが、私の場合、そこが「思想の古さ」によって無効となってしまうのです。
この「思想の古さ」について、もう少し補足して言い換えたほうが良いでしょうか。
グラフィックを写実的に高画質化し、オブジェクトを物量的に膨大にすることで、ゲームに自由度やリアリティが生まれると考える精神性。これが前時代的な指標だと感じられるわけです。
『GTA5』のゲームの核となるのは、旧来のドライビングゲームとアクションゲームの組み合わせです。プレイヤーができることは多いようで、じつは非常に限られています。
『フォールアウト』や『スカイリム』もそうですが、核となるゲーム部分が大味で、自由と言うわりにジャンルの壁を越えたプレイはできません。
世界だけが「水平に広がり」続け、体験は「垂直に減退」している、というのが私のオープンワールド観です。
昨今のオープンワールドとは、単にステージの規模を指すと言っていいと思います。
そして、この広大なステージを必要とするほどのゲーム自体の欲望は、まだどこにもないというのが私の実感です。
1人暮らしなのに20畳の部屋が7つあってもなあ……という感じの空虚に苛まれるのです。
いわゆる、レベルデザインの話なのでしょうが、私はいまだ『太陽のしっぽ』を超える強烈なオープンワールドには出会っていません。
結局、マリオとゼルダが、いかに究極の箱庭ゲームかということを思い知らされるのです。
小島秀夫監督が『メタルギアソリッドV』で、何かを提示してくれそうではあるのですが、PS4本体に「思想の古さ」を感じておりまして……。
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